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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9604号 判決

原告 平沢博

右訴訟代理人弁護士 中嶋正起

同 小堺堅吾

同 八田俊彦

右訴訟復代理人弁護士 佐々木敏行

同 藤木賞之

同 村上愛三

被告 株式会社平和相互銀行

右代表者代表取締役 小宮山精一

右訴訟代理人弁護士 小林宏也

同 千賀修一

右訴訟復代理人弁護士 本多藤男

同 長谷川武弘

主文

被告は原告に対し金四、〇七三円、及び内金一、〇〇〇円に対する昭和四五年八月一六日から右支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  原告は「被告は原告に対し金五〇三万八、五〇七円、及びこれに対する昭和四五年八月一六日から支払済みに至るまで、年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決、並びに第一項についての仮執行宣言を求め、その請求原因を次の通りのべた。

(一)  原告は、昭和四五年四月一三日、被告(取扱いは被告銀行高円寺支店)との間に、左記普通預金取引契約を締結し、同日現金五〇〇万一、〇〇〇円を預金した(この預金を、以下「本件預金」という。)

口座番号  一五―〇一―一八一―六九九

預金名義人 稲田二朗

利息    日歩六銭

(二)  原告は、昭和四五年八月一一日付内容証明郵便により、同月一五日までに右預金を支払うよう求め、同郵便は、同月一二日被告に到達した。

(三)  預金日から前記支払期日までの間の利息は、約定利率日歩六銭で計算して金三万七、五〇七円である。

よって原告は被告に対し、右元利合計五〇三万八、五〇七円と、これに対する支払期日の翌日である昭和四五年八月一六日から支払済みに至るまで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁並びに抗弁を次のようにのべた。

(一)  請求原因事実は全部認める。

(二)  本件預金は、昭和四五年四月一五日、全額払戻済みである。そのいきさつは次の通りである。

原告は本件預金を「稲田二朗」なる名義でなしたのであるが、昭和四五年四月一五日東京地方裁判所は、債権者野本博治、債務者稲田二郎こと稲田梅太郎、第三債務者被告、差押えるべき債権を、債務者が稲田二郎名義で第三債務者の高円寺支店になした平和オンライン普通預金五〇〇万円、とする債権差押転付命令を発し、同日、右野本博治が、東京地方裁判所執行官と共に被告高円寺支店を訪れ、右差押転付命令を示すとともに、債務者稲田梅太郎が債権者野本博治に宛てて作成した、本件預金をもって債務の支払いをする旨の「支払証書」なる書面を提示して、本件預金の払戻しを求めた。被告は、原告の本名を知らなかったものであるところ、右支払証書には本件預金の預金番号まで記載されていたので、本件預金の預金者である原告と、差押転付命令の債務者とは同一人物であるか、もしくは極めて密接な関係を有する人物であって、右の差押転付命令は本件預金に対してなされたものであると信じ、同日、本件預金全額を野本博治に払戻したのである。従って本件預金は全額支払済みであり、仮に預金者と債務者が別人であるために前記差押転付命令が無効であったとしても、被告の右支払いは、債権の準占有者に対する弁済として有効であり、もはや被告に本件預金の支払義務はない。

(三)  原告は、被告の右支払について過失があると主張するが、本件預金についてはなお次のようないきさつがあるので、仮に被告に何らかの過失があるとしても、原告がその点を云云することは、信義則上許されないというべきである。

(1)  原告は、訴外坂本寿雄を通じて稲田梅太郎なる人物から懇請され、「稲田」名義の本件預金をなし、多額の礼金を得たうえ、これを同人に貸与し、何らかの目的のために利用させたのである。その結果稲田梅太郎の債務のために本件預金が差押えられたのであるから、原告には、自己の預金を他人に利用させた責任があるというべきである。

(2)  右稲田梅太郎が原告に対し仮空名義の預金を依頼し、野本博治がこれを差押え転付命令を得たことは、右両名の計画的な仕業ではなかったかと被告としては考えざるを得ない。原告が稲田の右依頼に応じたことは、同人も結果的には右の企てに加担したことになり、その点の責任を看過することはできない。

(四)  被告は仮定的に、本件預金の預金者は原告ではなく、訴外稲田梅太郎であると主張する。すなわち、原告は稲田梅太郎の依頼により、同人がいわゆる見せ金として取引の相手方に示す金五〇〇万円の同人名義の本件預金をなし、その通帳を同人に貸与したのであるが、これは原告が稲田に金五〇〇万円の現金を貸与し、同人が自己名義に預金してこれを見せ金に使用するのと、実質的には異らないというべきである。従って本件預金の預金者は稲田梅太郎であり、原告は預金権利者ではない。

三  原告は、被告の右主張に対し次のようにのべた。

(一)  (被告の主張(二)について)原告が本件預金を「稲田二朗」の仮空名義でなしたことは認めるが、被告の主張する債権差押転付命令の債務者「稲田二郎こと稲田梅太郎」は原告とは別人であり、原告の全く知らない人物である。従って右差押転付命令は無効であり、被告がそれに基いて払戻しをしても本件預金の支払いということはできない。それが、債権の準占有者に対する弁済として有効になるとの被告の主張は否認する。その理由は次の通りである。その余の主張事実は知らない。

(1)  原告は、従来から、原告個人、あるいは原告が代表者になっている豊亜興商株式会社、もしくは原告の実弟平沢学が代表者になっている中央地産株式会社名で、被告銀行高円寺支店と預金取引を継続していたのであるから、被告としては原告を知悉していたものであり、原告の本名を知らない筈がない。本件預金も、原告が坂本寿雄から、取引の相手方に見せ金として示すため必要があるから、稲田姓で金五〇〇万円を預金し、その通帳を一時貸してもらいたい旨依頼され、被告高円寺支店の窓口係員とも相談したうえでなした預金であるから、原告の預金であることを被告は十分承知していたのである。従って、差押転付命令に記載されている「稲田二郎こと稲田梅太郎」が原告でないことは一見して明らかであった筈である。すなわち、被告の野本博治に対する支払いは、そもそも同人を預金債権者と信じてなしたものではないから、債権の準占有者に対する有効な弁済の要件である「善意」そのものを欠く支払いであった。

(2)  仮に、被告が善意で右の支払いをなしたものであるとしても、その支払いには次のような過失が存する。

(イ) 債権差押転付命令には、前記の通り、債務者として「稲田二郎こと稲田梅太郎」と記載されており、本件預金の預金名義人「稲田二朗」との相違があるし、被告の手許に存する預金申込書に記載されている預金者の住所、肩書と、前記命令に記載されている債務者のそれとは、明らかに相違するものであった。

(ロ) 右支払いの際、野本博治は、債務者が作成した「支払証書」なる書面を提示したのであるが、それと前記預金申込書を対比しても、筆跡、住所、氏名、印影、肩書の有無がいずれも相違しており、一致するのは「稲田」の姓のみである。

(ハ) 被告は、右支払証書に記載されている預金番号が一致したので原告の本件預金について差押がなされたものと判断したというが、真実預金者がそのような書面を作成したものであるならば、債権者は本件預金を任意に払戻せばよいのであって、何も債権の差押、転付命令という手続をとる必要はなかった筈である。被告はその点に思いを至さず、逆に、右の書面を根拠に支払いをなしているのである。

(ニ) 前記(一)で主張した、被告が、従来の取引関係から原告を知悉していたという事実を前提として、以上の各事実を考慮するならば、被告としては、野本博治に支払いをする前に、原告に対し、何らかの方法で問合せをすべきが当然である。然るに何の問合せをすることもなく、金五〇〇万円という多額の預金を、即時に払戻してしまったということは、明らかに被告に過失が存したといわなければならない。

(二)  被告の主張(三)及び(四)は、いずれも争う。

四  証拠≪省略≫

理由

一  請求原因事実は当事者間に争いない。原告はまず、東京地方裁判所が昭和四五年四月一五日に発した、債権者野本博治、債務者稲田二郎こと稲田梅太郎、第三債務者被告とする債権差押転付命令に基いて、本件預金は払戻済みであると主張するが、本件預金が原告の預金であることは当事者間に争いなく、その預金債権に対してなされた右差押転付命令が、原告を債務者として発せられたものでないことは、≪証拠省略≫によって明らかであるから、右差押転付命令は無効という外はなく、従って右の差押転付命令に基く払戻しが、有効な預金の払戻しということができないことは明らかである。

二  そこで、被告の右払戻しが、債権の準占有者に対する弁済として有効な払戻しになるかどうかについて判断する。

(一)  ≪証拠省略≫によれば、野本博治は、稲田梅太郎なる人物に対して金五〇〇万円の債権を有し、従来からしばしばその返済を請求し、公正証書も作成していたのであるが、稲田は野本に対し、自己の事業を後援してくれる人の預金通帳で支払うと称して、昭和四五年四月一四日ころ「稲田二朗」名義でなされている預金高五〇〇万一、〇〇〇円のオンライン普通預金通帳(本件預金の預金通帳)を渡したので、野本は、前記稲田梅太郎に対する債権の実行として、東京地方裁判所に、債権差押転付命令の申立をなし、同月一五日、債権者野本博治、債務者稲田二郎こと稲田梅太郎、第三債務者被告、差押えるべき債権を、債務者が稲田二郎名義で第三債務者高円寺支店になした平和オンライン普通預金五〇〇万円、とする債権差押転付命令(以下「本件差押転付命令」という)を得、同日夕刻、右命令を送達する東京地方裁判所執行官と共に被告銀行高円寺支店を訪れて、これが支払いを求めたことを認めることができる。

右の事実によれば、まず、野本博治を、本件預金債権者の準占有者と認めるに十分である。

(二)  次に、≪証拠省略≫によれば、被告は、昭和四五年四月一五日、前記の通り被告高円寺支店を訪れた野本博治に対し、本件預金の払戻しとして金五〇〇万円を支払ったことを認めることができる。そこで、被告の右支払いが、野本博治を本件預金に対する正当な権利者と信じてなしたものであるかどうか、すなわち民法四七八条にいわゆる「善意」で支払ったものであるかどうかであるが、右の「善意」とは、本件に則していえば、本件の差押転付命令が本件預金の預金者を債務者として発せられたものと信ずることである。

≪証拠省略≫によれば、原告は、昭和四三年一二月ころから自己名義で被告高円寺支店と預金取引をするようになり、また豊亜興商株式会社なる会社を経営していたので、その会社名義でもそのころから同支店と預金取引をなしていたこと、更に、原告の弟平沢学が代表取締役となっている中央地産株式会社が、被告銀行八重洲口支店に口座をもっていたのであるが、高円寺支店から原告が右の口座に振込入金することがあったこと、そのような関係から、被告高円寺支店においては、原告に面識があったこと、をそれぞれ認めることができ、この認定を覆えすに足る証拠はない。しかしながら、原告と被告との取引は以上の預金取引に止まるものであり、それ以上の取引があったものと認められる証拠はなく、そのうえ前掲各証拠を仔細に検討すると、原告の預金取引も、原告個人のものは昭和四四年一二月一七日に金一万円を預入れた取引から始まって、本件預金が払戻された昭和四五年四月一五日までに、三回の預入れと金八九六円の残高があったのみであり、豊亜興商株式会社名義の預金取引も、昭和四三年一二月一一日金二五〇万円の預入れに始まり、九回の預入れののち同四四年一〇月三〇日に残高零となって一旦解約し、同年一二月一七日再び預金取引を始めたが、本件預金が払戻された当時、預金残額は零であったこと、中央地産株式会社に対する振込みも、昭和四四年四月二一日に金一、四〇〇万円、同年一一月一〇日に金五四四万円という多額の振込みをなしたことはあるが、その外は、本件預金が払戻されるまで五回、それも一万円とか二万円とかの振込みをなしているに過ぎないことを認めることができるのである。原告は、被告(高円寺支店の担当者)が原告の本名を知らない筈はないと主張するけれども、以上認定の各事実によれば、被告が原告の本名を知っていたものと断定することは困難であり、少くとも、本件差押転付命令に表示されている債務者「稲田梅太郎」が原告の本名ではないという認識が当時被告にあったと認めるに足る証拠はないといわなければならない。

更に、≪証拠省略≫によれば、昭和四五年四月一五日、野本博治が被告高円寺支店において本件預金の支払いを求めた際、同人は稲田梅太郎作成名義の支払証書と題する書面を被告担当者に提示したこと、それには、本件預金の預金番号と一致する一五―〇一―一八一―六九九番の預金通帳をもって、野本博治に支払う旨の記載がなされていること、被告の担当者は、預金番号は預金者自身でなければ知っている筈がないので「稲田梅太郎」が本件預金をなした原告の本名であると考えたこと、をそれぞれ認めることができ、この認定を覆えすに足る証拠はない。

以上の各事実によれば、被告としては、本件差押転付命令が、本件預金の預金者すなわち原告を債務者として発せられたものと信じて、野本博治に本件預金のうち金五〇〇万円を払戻したものであると認定するのが相当である。

(三)  そこで、被告が右のように信じたことについて過失が存しないかどうかについて判断する。

(1)  まず、本件預金の預金名義は「稲田二朗」であり、預金申込書に記載されているその住所、肩書は「中央区日本橋本町一―五〇、日清興業(株)」である(甲第一号証)。一方本件差押転付命令に記載されている債務者は「稲田二郎こと稲田梅太郎」、住所は「大田区北千束一丁目五四番五号」であって、そこに相違がみられることは明らかである。また前記支払証書に記載されている稲田梅太郎の住所も「大田区北千束一の四五の五」であり、預金申込書の住所と異るのは勿論、印影も異ることが一見して明らかである(筆跡も異ると思われる)。しかしながら、右支払証書は、銀行に対する払戻請求書とは異り、被告銀行に提出するために作成されたものでないことは、その記載内容自体から明らかである。従って、そこに押捺されている印影が預金申込書のそれと異るということに格別の意味をもたせることは相当でない。住所が異ること、筆跡が異ることも同様である。差押転付命令に記載されている住所についても、住所が変更することはあり得ることであって、預金申込書のそれと異ることに被告が特段の意を注がなかったことを過大視することはできない。なお、「二朗」と「二郎」の相異は決定的なものではないと考える。

(2)  ≪証拠省略≫によれば、被告としても、前記のような相異点に気付いて野本博治に対し、一旦は支払いの猶予を求めたのであるが、同人が強くその支払いを求めたので、前記(二)で認定した判断のもとに、結局金五〇〇万円の払戻しをしたものであることを認めることができる。原告は、右の場合、被告は原告を知悉していたのであるし、金額も大きいのであるから、何らかの方法で原告に問合せをすべきであったと主張する。確かに一応はそのようにいえるのであるが、まず原告と被告との取引は前記(三)で認定した程度であって、被告が原告を知悉していたとまではいえないのであるし、また本件預金の預金申込書に預金者(原告)の電話番号が、その欄はあるのに記載されていないこと(尤も≪証拠省略≫によれば、その住所、肩書共に仮空である)は、甲第一号証によって明らかであり、≪証拠省略≫によれば、預金者の電話番号は、特別の場合以外は、右預金申込書に記載されているのみであることを認めることができる。更に、被告が本件差押転付命令の執行を受けた際、仮に担当者の頭に、原告が会社名義で被告と預金取引をしていることが浮かんだとしても、その関係の書類を調べてまで原告に問合せをすべきであったとまではいえまい。

(3)  以上のような事実関係によれば、被告が、本件差押転付命令は、本件預金の預金者(原告)を債務者として発せられたものと信じたことに過失はないといわなければならない。

三  以上認定の次第であるから、本件預金は昭和四五年四月一五日の払戻しによってすでに消滅しているものといわなければならない。尤も、本件預金の預金額は金五〇〇万一、〇〇〇円であり、被告が払戻したのは前記認定の通り金五〇〇万円であるから、金一、〇〇〇円の預金はなお残存するわけであり、原告が昭和四五年八月一五日限りでその支払いを求めたこと(請求原因(二))は当事者間に争いないので、右残存元本一、〇〇〇円と、本件預金をなした昭和四五年四月一三日から、金五〇〇万円を払戻した同月一五日まで(結局一日間)の五〇〇万一、〇〇〇円に対する日歩六銭の約定利率による利息金三、〇〇〇円(円未満切捨て)、及び残存元本一、〇〇〇円に対する昭和四五年八月一五日(支払期日)まで一二三日間の利息金七三円(円未満切捨て)、以上合計四、〇七三円と、内金一、〇〇〇円(残存元本)に対する昭和四五年八月一六日から右支払済みに至るまで年六分の割合による金員の支払義務は、なお被告に存するというべきである(利息金三、〇七三円については、当然には遅延損害金の請求はできない)。

よって、右の限度で、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、その余はすべて失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条(第八九条)を適用し、なお仮執行宣言は相当でないから付さないこととしたうえ、主文の通り判決する。

(裁判官 高橋金次郎)

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